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プチ黄禍論

中国・香港企業台頭で仏に「プチ黄禍論」

多くの日本人は日本のことをアジアでもなく、かといって欧米でもないと思っているそうです。ところがその根拠はと聞かれると、さあ?って言う人が多いのではありませんか。
私もそうでした。でもこの記事を読んでピーンときました。
19世紀までは「黄禍論」といえば中国人や蒙古人のことを指していたのです。
とすれば20世紀以降、日本に向けられた欧米諸国の「黄禍論」を面白く思わない人もいたでしょう。
しかし「中国人と一緒にしないでよね」と言ったら角がたってしまいます。それで「どっちでもない」と曖昧な表現をするようになったのではありませんか? ・・・違うかなぁ?
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I'm Zapanese nida!

★賢い中国人を発見!↓



その①
ひょっとして日本は中国や西洋から技術を学んだだけで民族特有の文化の特徴はこれまで一度も変えたことがないのでは????
この点について日本は一貫している・・・ (*_*;)

その②
私は日本で勉強しながら生活していくうちに、「日本とアジア」という言葉をよく耳にすることに気付いた。どうも違和感があった。香港の場合は、「香港とアジア」という表現はなく、「香港と他のアジア地域(国)」である。
その後、日本がアジアの一員であるかどうかというもともと自明であるはずのことが、実に日本では、明治初期から現在に至るまで論争の止まない一つの課題であるということが段々と分かるようになった。
言わば、日本の近現代史は、日本はアジアの中にあるか、日本はどのように(他の)アジア諸国と付き合うべきかという「問題」を抱えた歴史だったのである。
明治初期には,アジア諸国は、殆どすべて、植民地または半植民地の状態に追い込まれていた。日本が同じ危険にさらされているという緊迫感は強かった。この際に、独力をもって強大な西洋に対応するよりは、近隣諸国が連合する方が容易なことから、アジア連帯の思想が萌芽する。これを「興亜」思想と呼んだ。
興亜論に真っ向から対立したのが、福沢諭吉の「脱亜論」(1885年発表)だと言える。
福沢にとっての脱亜は、文明へ近づくための一つの努力目標と理解しうるが、「わが国は隣国の開明を待って共にアジアを興すの猶予あるべからず⋯⋯われは心においてアジア東方の悪友を謝絶するものなり」という主張から、「脱亜論」の支持者によって「日本がアジアでない」ということが理論化されていった。
その後、軍国主義が台頭し、今度は「興亜論」が日本の勢力拡張に再利用されるようになった。そして、大東亜戦争の最中に、「大東亜共栄圏」というシンボルを操作するために、岡倉天心の「アジアは一つ」という言葉も良く「活用」された。その際に、太平洋戦争をアジア回帰の頂点だという国義武説に対し、竹内好は、大東亜戦争が日本の近代化と平行してあった興亜と脱亜の絡み合いの産物だと指摘している。
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by lipxlap | 2005-02-16 22:23 | China関連